情報

人・物・金・情報の中の私が知っている情報を少し話します。

香港ですが現状は中国政府が介入してきまして香港に何を期待するかは非常に問題があり難しい状況と思います。

韓国ですが韓流のドラマは日本やその他アジアでは非常に人気があります。ストーリーがハリウッド映画のような演出でテンポが非常に無駄のない速さで視聴者を虜にします。韓国の社会状況・ファッション・登場人物の顔(メイク)や性格(表情)・最新のAIを駆使し鋭く著わしていることです。若者のファッション性のある衣料品は質を問わなければ日本人が安価に仕入れることが出来ました。【蛇足ですが日本のファッションについて香港に駐在している時にパリに家族旅行をし百貨店で婦人用ダウンコートを購入しましたがその10年後に日本でも流行りはじめました。現在2021年ですが全く20年前パリで購入したものが日本の百貨店で現在販売されているようです。20年前香港から帰国しましたが香港のイギリス系百貨店で購入した型落ちの背広の型が日本で流行り始めたのことを思い出しました。】

韓国南部の島々ではアワビ養殖場が多く韓国で養殖し成長した日本産2世3世のアワビの孵化から稚貝の陸上養殖、成長した稚貝の洋上養殖場と小さな稚貝を日本から輸入して陸上養殖・洋上養殖し生育したら日本に輸出しています。築地市場の外国産活きアワビの90%以上は韓国産です。質の良い養殖アワビは稚貝を日本から輸入していました。

中国人が人民服を着ていた随分前になりますが北京市内のカシミヤのセーター工場を視察にいきました。戦前の英国系の大変レトロな大きな工場でした。紡績・染色・編み上げ・セーター製造まで一貫した工場でした。カシミヤセーターが日本で流行り始めた頃で当時衣料品が得意な某大手量販店も中国からカシミヤセーターを輸入し販売し始めたところでした。なお、その後にカシミヤのオーバーも大衆が購入しやすくなりましたが北京市内の百貨店ではカシミヤの生地反物を展開しカシミヤコートをオーダーメードで販売しておりました。

上海市北京市と同時期に絹製品の工場視察に行きました。当時は国営の会社ばかりで絹製品は江蘇省蘇州にあると聞いて南京に近い安徽省出身の50歳過ぎのおじさんに案内してもらいました。現在では北京語が国語になっていて中国の全域で使われていますが、当時の上海では上海語が多く蘇州では蘇州語が多く話されていましたので通訳もそのおじさんが兼務して案内してくれました。上海を朝5時には出発し蘇州に着いたのはお昼頃でした。車は中古と言っても日本ではスクラップ必須の国名は覚えていませんが確かヨーロッパ産中古車でした。行けども行けども畑や荒野でまた道路も悪路のため、今では高速で渋滞しても2時間余り、新幹線では30分ぐらいの上海近郊ですが当時は車で6時間もかかりました。この案内の中国人のおじさんに前日工場とアポイントをとってもらいましたが着いた時間が遅かったため担当者に会えず残念なことになりました。蘇州の湖畔で蘇州料理の大きな淡水魚(草魚?)を食べましたがまだまだ文化大革命の残した影響で美味しくは感じませんでした。余談ですが上海の飛行場から※次回に続きます。